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プリクラは変身装置!
最近のプリクラって凄い事になってるようで。
目が大きくなったり、小顔にできたり、お肌バッチリ髪ツヤツヤ、オマケにつけままで貰える始末。
変身願望ってやつなのかな?気軽な記念ってノリが正解に近い?
何れにしても彼とのツーショットを貰っても困るよね。
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【2010/01/24 01:41】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
現代文化祭事情
先日、公立高校の文化祭に出向く機会があった。
昔から自由な校風は、独創的な生徒を育み、その考えを尊重する学校だ
と認識していたのだが、最近は生徒の意識がそこにはないようだ。
というのも、制作物や、発表テーマのほとんどが既存のものの焼き直し
だったのだ。例えば、ビデオ作品の上映では(むろん昔は8ミリ
映画でした)人気TVドラマをタイトルも変えず、なぞっただけ。
舞台演劇もブロードウェイミュージカルだったり、人気アイドルグルー
プのダンスだったりするのだ。
しかも、全くの模倣。完コピなのである。
マニュアル世代といわれた我々でさえも、さすがにどこかはアレンジし
たり、組み合わせたものだが、それすら見あたらない。
さて、文化祭の捉え方が変わってきたのだろうか?同級生達と何かを創
り上げることには違いないので、真似であってもいっこうにかまわない
のだが、他人に見せることに抵抗はないのだろうか。
社会に対する皮肉や風刺といった、文化レベルの高さは期待してはいけ
ないのか?いけないんでしょうね。
何でも用意されている。ビデオは巻き戻す必要もない(DVDだっ
たりするので)。YouTubeを利用すれば携帯でも動画が検索でき
る。
これでは手本や見本を探す手間さえかからないのだ。
創作する意識を高めるのは難しそうである。
【2008/09/16 00:52】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
ねじれる
このところ日雇い派遣や、フリーターなど非正規雇用に従事する若者に
よる重大犯罪が紙面を賑わしているが、景気の後退感に伴って燃料費の
高騰や食品の値上げで、さらに息苦しくなった社会情勢においては増え
こそすれ、減少することはないように見える。
中曽根政権に端を発したネオリベラリズム(新自由主義)は、小泉政権
で不動のものとなった。ウィキペディアによると新自由主義(しんじゆ
うしゅぎ、英:neoliberalism、ネオリベラリズム)とは、市場
原理主義の経済思想に基づく、均衡財政・福祉および公共サービスの縮
小・公営企業民営化・経済の対外開放・規制緩和による競争促進・情報
公開・労働者保護廃止などをパッケージとした経済政策の体系、競争志
向の合理的経済人の人間像、これらを正統化するための市場原理主義か
らなる、資本主義経済体制をいう。
少々かたっ苦しいが、要は自己選択・自己決定・自己責任の中で自由に
消費社会を生きろということだ。
フリーターになったのも自己責任?、非正規雇用だから低賃金はしょう
がない?、しかし、現実には好きで非正規雇用を選んでいる人たちがど
れだけいるだろうか?民間企業は雇用の流動化という甘い蜜を吸ってし
まった。雇用調整がもたらす恩恵は計り知れない。しかし、若者には非
正規雇用はまっとうな生き方ではないような教育を行っている。
ここに矛盾は生まれ、正社員になれない時点で自ら敗北感と疎外感に苛
まれてしまうのだ。
人間は多大なストレスを受けると、精神のバランスを保つため、どこか
に逃げ場所や、言い訳(都合のいい解釈)を作り出す。これは生命の維
持に関わる自然な行為である。これが社会や家族といった所属するコ
ミュニティで否定されるほど辛いことはない。
【2008/08/06 00:58】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
高校格差考
ここ数年、市内外の高校に行く機会が少なからずあり、その実態に思い
知らされる。というのも、各校には校風があり、各々特色があるものだ
が、従来感じていたものとは少し違っているようなのだ。
それは成果至上主義をベースに、企業として各校生き残りを賭けた学校
運営を強いられているのだろう。あきらかに偏差値の違いが雰囲気とし
て伝わってくる。やや高めの学校では一見まじめそうに見えるが、自己
評価が高く極端に言えば傲慢にさえ感じる。中間的な学校では男子は控
えめであり、自信もなさそうなのだ。一方技能系の学校は、目指すもの
が具体的なことで、身なりや言葉遣いは乱れていても、上昇志向を感じ
取れる。ただ、いずれも女子の方がより意識が高く、安定しているよう
に見える。
非正規雇用が3人に1人といわれる現在において、男は働い
て家族を養うことが当たり前だという認識に縛られる以上、常に先行き
の不安は拭えず、女性に頼っているように感じることがジレンマに繋が
るかのようだ。
これでは到底結婚に踏み切ることも出来ないだろう。少子化が問題にな
るのも、この辺りのことが原因かも知れない。
【2008/07/02 01:58】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
なぜ返さないのか
教育現場でよく耳にする「先生、それって何の役に立つんですか?」と
いう言葉。
経済至上主義の中で育った、消費主体ならではの言葉ではないか。
それは彼等が、全ての物事において等価交換を求めているのに他ならな
いからだ。
自分たちは辛い授業を我慢して受けている。ならば教師はそれ相応の知
識を与えるべきだ。
そう、この先生きてゆくのに役に立つ事柄を教えてくれ。というわけ。
実際、教師の教え方やしゃべり方、挙げ句は立ち居振る舞いが気に入ら
ないと判断されれば、
授業への興味がそがれ、自ずと成績にも影響している。
端から見ていると、自分の好みだけで成績を下げる愚かな行為のようだ
が、そのリスクも
教師のせいにしてしまえば、精神的には折り合いがつくのだろう。
この等価交換は、場面によって必ずしも等価とはなり得ないようだ。
消費主体は物事を判断するとき、「得られるもの」と「失うもの」を天
秤にかけるのだ。
そうやってコスト計算された採算分岐点を、いち早く見つけようとする。
ところで「借りパク」という言葉をご存じだろうか?
字の通り、他人から借りたものをパクる、即ち返さないことを指すのだ
が、
これにもコスト計算が存在していた。
繋がりの濃い薄い、利害のあるなし、あるいは取引にかかる労力や時間。
それらを天秤にかけ判断している。
例えば、シャーペンの芯。これは借りるのではなく貰うのだそうだ。
安いものだし、形状も些細で消耗品だからだろうが、消しゴムは借りる
のだという。
認識が違えば、貸した方は返ってこなければ「借りパク」されたことに
なる。
早急性のないものもやっかいだ。いつか返そうと思っているうちに忘れ
てしまう。
りっぱな「借りパク」である。
この認識の違いは同世代間でもあるようで、コミュニティの微妙なバラ
ンスに
影響を与えているそうだ。
ちなみに、返すのがめんどうくさいというのも、充分コストになりうる。
借りた先が、今後関係性がなくなるなら、なくなってもいいのなら
めんどうくさいが勝ってしまうわけだ。

さて、返して貰うにはどうするべきか?答えは簡単。
返した方が得だ、または返した方が損をしないのどちらかを呈示するこ
と。
コストで割り切ってますから。あっ端数は四捨五入で(笑)
【2008/06/17 00:56】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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