昨日に引き続き、さらに駆け足の視察。車で豊中、吹田、摂津、高槻を
回ってみた。 それぞれ隣接した地区だが、まったく表情の違う街であることを改めて 実感。以前より気になっていた地区だけに、実際目にしてみると様々な ことが解る。 豊中・吹田はニュータウンが拓かれて40年。すでに壮年期に入ろ うとしている街並みは、当初より計画的な都市であり、新たな開発を阻 んできた。 それ故、住民の年齢層は高止まりし、若者の姿が少なく感じた。 一方、高槻駅周辺は再開発が進み、計画的な都市整備が進んでいるよう だが、そこを離れると、大手企業の工場や流通用倉庫が建ち並び、その 間に郊外型商業施設が出店する独特の風景を形成している。 また、摂津近辺は中小の工場や倉庫、事業所と住宅が密集し、特徴に乏 しい匿名的な雰囲気が逆に独特の風景を醸し出す。 ここでは、比較的高階層をターゲットにするスーパーマーケットでも、 取り扱い商品の幅が狭く、従業員の士気も低かった。 ロードムービーのように階層格差を一気に見られる取り合わせに気が滅 入ったが、次回はそれら地区をつなぐモノレールに乗ってみたいと思う。 スポンサーサイト
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今日は、鶴見区・城東区・東成区・天王寺区・生野区・阿倍野区・東住
吉区・平野区を自転車で視察した。自転車なので駆け足だが、それ故の 街の表情の変化が手に取るように解り、それぞれの特徴を捉えるにはベ ストな方法といえる。 なかでも特徴的なところは、高級住宅地がある阿倍野区。天王寺を南下 し、松虫を過ぎたあたりから雰囲気が変わる。生活環境を知るために、 スーパーや商店街に立ち寄るようにしているのだが、ここでもやや上層 よりのスーパーが出店していたので入ってみた。 予想通り、店舗は小振りながら商品アイテムは豊富で、鮮魚や精肉は専 門店並みに揃っていた。 因みに、他の地域の(特に階層的に下方の分布が多い地区)スーパーで は、特色はなく、どこも似たような商品展開になっているし、鮮魚は切 り身で、特段変わった魚があるわけではなく、野菜も元の姿まんまは少 ない。(2分の1やカット野菜、水煮パックなど) さて、阿倍野区や東住吉区では町並みも古く、高齢者が目立った。こう いう地域には大型店が出店しにくく、結果、昔ながらの商店が生き残っ ている。 たとえ、子や孫が下層へ降下しようともセーフティネットとして上の代 がフォローできるのである。しかし、それもあと僅かしか間がないよう だ。 街は年老い、新たな住宅や店舗に取って代わられようとしている。 |
現在、高校の授業でフリーターやニート、ワーキングプアが扱われてい
ることは聞いていたが、その教材として新聞のルポルタージュ記事が引 用されていた。 内容は新自由主義の政策下にあって、階層下降を余儀なくされたワーキ ングプアの悲哀を淡々と語ったもの。 もちろん現実を直視するという面では、NPO法人「もやい」等の 活動は知っておいた方がよいのだろうが、まだまだ自己意識の高い高校 生には現実味が乏しく、却って逆効果のような気がしてならない。 文科省では、非正規雇用から起こりうる自立不能な若者を減らすべく、 教育現場に取り入れているようだが、これでは成果至上の個人主義を全 てとし、階層下降してしまった者を単なる怠惰と見てしまう可能性があ るのではないだろうか? 現に彼ら現役高校生は、ニートやフリーターを負け犬と捉えているよう な気がする。 しかし、資本側にあっては雇用調整のきく非正規雇用を減じるはずもな く、フリーターや日雇い、パートの需要は当面増えることはあっても減 ることはない。 さて、そんな高校生がいざ社会に出る段になって(特にゆるゆると学生 生活を送ってしまった人にとって)現実はことさらクールなのだ。(成 果至上の個人主義だからね)。 目の前には、あんなに忌避していた非正規雇用しか取るべき道がないと したら、遅かれ早かれ自己否定に陥ってしまったとしても、当然なのか も知れない。 リアルを見せるのはいいが、行く末に責任のある対応を、教育現場も家 庭もとらなければならない。 |
知り合いの製造業者が派遣社員を雇用していた。軽作業が主だったが、
まじめな働きぶりで、正規雇用に切り替えた。(紹介予定派遣ではなく 個人的に) ところが、その会社は規模が小さく、下請けの仕事が多いため就業時間 が不定期で責任の範囲があやふやだったため彼の意欲は薄れ、作業効率 は低下した。程なく辞職を申し出たそうだ。 彼にとっては自分の時間が大切だったわけで、仕事は生きていくだけ稼 げればよかったと言うだけ。ある意味派遣の自由さが身に染みついてい たようだ。 彼の名誉のために申し上げるが、仕事の能力は問題なく、人当たりも話 し方も非常に好感の持てる青年(30代半ば)であった。 適材適所とはいうものの、それはある意味上から目線。各々の個性を汲 み取らないと生産性は損なわれ、作業効率は低下する。 意識の改革が先なのか、個性の尊重が重要なのかは今後の課題ではある が、優秀な能力を活かす手だてを雇用する側、される側ともに明確にせ ねばならない。 ちなみに当の彼は派遣に戻ったそうだ。 |
ペルソナという言葉をご存じだろうか?仮面の意味を持つこの言葉、心
理学では人が生活上演じている役柄を指す。 例えば、会社に行けば部下を束ねる課長役の自分と、家に帰れば子供達 の父親であり、妻に対しては夫役の自分という三つの役柄、つまり仮面 をつけていることになるが、人はこのような配役を得られないと安定し て暮らしていけない。 なぜならそれこそが他者の目から見た個人を識別する記号であり、自分 自身にとって社会の一員であるという認めになるからだ。 そこで、このGWはそこに注目してみた。(それだけじゃないんだ けど) まずは父親役。日頃子供に対しては無関心を装っていた父親が、俄然父 親になろうとする長期休暇は今に始まったわけではないが、突然心強い 親父を演じようとキャンプになど出かけると、子供は戸惑うばかりかウ ザがってしまい父親は孤立することに。 清純派アイドルだってイメージチェンジには慎重を期すっていうのに、 突然の路線変更はいただけないでしょう。 つぎに母親役。家族仲良しをアピールするべくショッピングモールへの お出かけ。家にいてもいつもと同じ家事をしなくちゃいけないし、さら に家族フルメンバー揃っていたりすると、一日中食事の用意をするはめ に。それではたまらないとばかり、出かけることを提案。しかし、行楽 地はどこも人であふれかえっているし、お金もかかる。旅行なんてとん でもない。で、ショッピングモールである。 お買い物=母親。オッケー。家族でおでかけ(車を運転)=父親。オッ ケー。 ファーストフードで軽い昼食(カロリーは軽くないけどね)、夕食は回 転寿司か焼き肉、それともバイキング系?これで母親役をこなし、なお かつ手は抜ける。(決して揶揄しているわけではないけど) そして子供役。お出かけの車中ではヘッドフォンで音楽?携帯ゲーム 機?手にはスナックや飲み物?それが子供らしいっちゃらしいのがこの 頃である。 嬉々としてショッピングに勤しむ母親、家族の移動要員と化した父親。 そんなこと知ったこっちゃない子供。 家族を演じるのも楽ではないし、何処に向かっているのやら。いまや地 域性すら薄れ、日本中ステレオタイプの役者達が増えている。 |
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