教育現場でよく耳にする「先生、それって何の役に立つんですか?」と
いう言葉。 経済至上主義の中で育った、消費主体ならではの言葉ではないか。 それは彼等が、全ての物事において等価交換を求めているのに他ならな いからだ。 自分たちは辛い授業を我慢して受けている。ならば教師はそれ相応の知 識を与えるべきだ。 そう、この先生きてゆくのに役に立つ事柄を教えてくれ。というわけ。 実際、教師の教え方やしゃべり方、挙げ句は立ち居振る舞いが気に入ら ないと判断されれば、 授業への興味がそがれ、自ずと成績にも影響している。 端から見ていると、自分の好みだけで成績を下げる愚かな行為のようだ が、そのリスクも 教師のせいにしてしまえば、精神的には折り合いがつくのだろう。 この等価交換は、場面によって必ずしも等価とはなり得ないようだ。 消費主体は物事を判断するとき、「得られるもの」と「失うもの」を天 秤にかけるのだ。 そうやってコスト計算された採算分岐点を、いち早く見つけようとする。 ところで「借りパク」という言葉をご存じだろうか? 字の通り、他人から借りたものをパクる、即ち返さないことを指すのだ が、 これにもコスト計算が存在していた。 繋がりの濃い薄い、利害のあるなし、あるいは取引にかかる労力や時間。 それらを天秤にかけ判断している。 例えば、シャーペンの芯。これは借りるのではなく貰うのだそうだ。 安いものだし、形状も些細で消耗品だからだろうが、消しゴムは借りる のだという。 認識が違えば、貸した方は返ってこなければ「借りパク」されたことに なる。 早急性のないものもやっかいだ。いつか返そうと思っているうちに忘れ てしまう。 りっぱな「借りパク」である。 この認識の違いは同世代間でもあるようで、コミュニティの微妙なバラ ンスに 影響を与えているそうだ。 ちなみに、返すのがめんどうくさいというのも、充分コストになりうる。 借りた先が、今後関係性がなくなるなら、なくなってもいいのなら めんどうくさいが勝ってしまうわけだ。 さて、返して貰うにはどうするべきか?答えは簡単。 返した方が得だ、または返した方が損をしないのどちらかを呈示するこ と。 コストで割り切ってますから。あっ端数は四捨五入で(笑) スポンサーサイト
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