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共同体の中の個人
この国には「個」は存在しないそうだ。
個人というものに対して、社会的に成熟しているヨーロッパや、キリス
ト教がもたらす個のアイデンティティが確立されているアメリカとは違
い、日本では共同体が社会を形作ってきた所以だ。
しかし、バブルを境に20年ほどの間、この国にも新自由主義が導
入され、社会全般に個人主義、成果至上主義が浸透していった。
共同体は解体を繰り返し、一見「個」の世の中が出来上がったかのよう
だが、日本人が培ってきた共同体という意識は、そう簡単に覆らない。
というか拠り所であり、居場所としての共同体は存在し続けるのである。
学校や会社、家庭といった従来の共同体は、どんどん希薄になっている
のだが、より細分化された、コミュニティ。例えば音楽やダンス、バイ
トやサークルといった中にそれぞれの居場所を見つけ、共同体を形成し
ている。
ただ、以前書いたようなペルソナ(仮面)をそれぞれの場所で付け替
え、ゆるく広くまったり繋がるので、共同体には見えにくいだけなのだ。
今を生きるための方法だと言えよう。いつ所属するコミュニティからは
じかれても、深い傷を負わないように。
でも実際は傷もつくし、もっと深く付き合いたいのが心情だろう。
一説によると、携帯電話の普及でコミュニケーションが希薄になったと
いうのは外見上で、実はより濃密化しているそうである。
ほら、メールを送ったのに返事がないと不安になる人がいるでしょ?
【2008/06/09 00:23】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
経済観念って?
和民のバイト代不払いが報道されているが、2ちゃんねるでは四年前か
ら正社員の不払いが取りざたされていた。
30分以下は切り捨てだとか、キツい会社だと言われるが、経済至上主義
の今、このような企業は氷山の一角に過ぎないのではないか?
働く側は権利を主張し、雇う側は少しでもコストを下げる。折り合いを
つけることはそう容易いことではないだろう。
さて、最近の若者はお金にシビアだと言われ、海外旅行者や車の所有者
が減っている。
必要な物を必要なだけで生活は満足とする層が多数を占めているせいだ。
例えば、中高生はコンビニをよく利用しているが、日々の飲料水等は
スーパーやディスカウントストアで購入する。これは少しでも安くすま
そうとしているのだが、既に感じる社会の不透明感や先行きの不安がそ
うさせているのかも知れない。
不安であるが故に、お手軽な消費行動を控え、将来のため貯蓄に走る若
者が増えているようだ。
【2008/06/02 02:35】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
街場の表情 その②
昨日に引き続き、さらに駆け足の視察。車で豊中、吹田、摂津、高槻を
回ってみた。
それぞれ隣接した地区だが、まったく表情の違う街であることを改めて
実感。以前より気になっていた地区だけに、実際目にしてみると様々な
ことが解る。
豊中・吹田はニュータウンが拓かれて40年。すでに壮年期に入ろ
うとしている街並みは、当初より計画的な都市であり、新たな開発を阻
んできた。
それ故、住民の年齢層は高止まりし、若者の姿が少なく感じた。
一方、高槻駅周辺は再開発が進み、計画的な都市整備が進んでいるよう
だが、そこを離れると、大手企業の工場や流通用倉庫が建ち並び、その
間に郊外型商業施設が出店する独特の風景を形成している。
また、摂津近辺は中小の工場や倉庫、事業所と住宅が密集し、特徴に乏
しい匿名的な雰囲気が逆に独特の風景を醸し出す。
ここでは、比較的高階層をターゲットにするスーパーマーケットでも、
取り扱い商品の幅が狭く、従業員の士気も低かった。
ロードムービーのように階層格差を一気に見られる取り合わせに気が滅
入ったが、次回はそれら地区をつなぐモノレールに乗ってみたいと思う。
【2008/05/19 02:18】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
街場の表情 その①
今日は、鶴見区・城東区・東成区・天王寺区・生野区・阿倍野区・東住
吉区・平野区を自転車で視察した。自転車なので駆け足だが、それ故の
街の表情の変化が手に取るように解り、それぞれの特徴を捉えるにはベ
ストな方法といえる。
なかでも特徴的なところは、高級住宅地がある阿倍野区。天王寺を南下
し、松虫を過ぎたあたりから雰囲気が変わる。生活環境を知るために、
スーパーや商店街に立ち寄るようにしているのだが、ここでもやや上層
よりのスーパーが出店していたので入ってみた。
予想通り、店舗は小振りながら商品アイテムは豊富で、鮮魚や精肉は専
門店並みに揃っていた。
因みに、他の地域の(特に階層的に下方の分布が多い地区)スーパーで
は、特色はなく、どこも似たような商品展開になっているし、鮮魚は切
り身で、特段変わった魚があるわけではなく、野菜も元の姿まんまは少
ない。(2分の1やカット野菜、水煮パックなど)
さて、阿倍野区や東住吉区では町並みも古く、高齢者が目立った。こう
いう地域には大型店が出店しにくく、結果、昔ながらの商店が生き残っ
ている。
たとえ、子や孫が下層へ降下しようともセーフティネットとして上の代
がフォローできるのである。しかし、それもあと僅かしか間がないよう
だ。
街は年老い、新たな住宅や店舗に取って代わられようとしている。
【2008/05/18 01:52】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
高等教育現場
現在、高校の授業でフリーターやニート、ワーキングプアが扱われてい
ることは聞いていたが、その教材として新聞のルポルタージュ記事が引
用されていた。
内容は新自由主義の政策下にあって、階層下降を余儀なくされたワーキ
ングプアの悲哀を淡々と語ったもの。
もちろん現実を直視するという面では、NPO法人「もやい」等の
活動は知っておいた方がよいのだろうが、まだまだ自己意識の高い高校
生には現実味が乏しく、却って逆効果のような気がしてならない。
文科省では、非正規雇用から起こりうる自立不能な若者を減らすべく、
教育現場に取り入れているようだが、これでは成果至上の個人主義を全
てとし、階層下降してしまった者を単なる怠惰と見てしまう可能性があ
るのではないだろうか?
現に彼ら現役高校生は、ニートやフリーターを負け犬と捉えているよう
な気がする。
しかし、資本側にあっては雇用調整のきく非正規雇用を減じるはずもな
く、フリーターや日雇い、パートの需要は当面増えることはあっても減
ることはない。
さて、そんな高校生がいざ社会に出る段になって(特にゆるゆると学生
生活を送ってしまった人にとって)現実はことさらクールなのだ。(成
果至上の個人主義だからね)。
目の前には、あんなに忌避していた非正規雇用しか取るべき道がないと
したら、遅かれ早かれ自己否定に陥ってしまったとしても、当然なのか
も知れない。
リアルを見せるのはいいが、行く末に責任のある対応を、教育現場も家
庭もとらなければならない。
【2008/05/13 01:09】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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